京都を知り、京都を届ける。ご縁が生まれるかけがえのない存在。
- 伊藤:
- まずは、みなさんにとって物産協会とはどんな存在かお聞かせいただけますか。
- 稲岡:
- 子どもの頃から気づけばいつも横にあるような存在で、うちで作った蕎麦菓子を祖父と父が地方に持って行く姿を見ていました。その後、蕎麦に主軸を置くようになり、蕎麦は現場が命なので、出張には持っていけなくなりました。私が父から継いだ時には、再び蕎麦菓子を新しいお客様や世代に持って行きたい、京都の外に京都を届けたいという気持ちがありました。
- 霜降:
- 私も幼い頃から、従業員が催事に行くのを見ていました。昔は今以上に従業員も家族の一員みたいで「今度は九州へ行ってくるわ」「いってらっしゃい」というような会話をしていた記憶があります。私が三十二歳の時に代替わりしまして、物産協会のことを知れば知るほど、なくてはならない存在だと実感しています。京都有数の名店が集まり、その魅力を長年にわたり発信し続け、個々の店では出会えないようなお客様とのご縁を結んでいただき、本当に意義の高い団体です。
- 畑:
- 私も子どもの頃の思い出が印象に残っています。祖父が会長を務めさせていただいていて、鹿児島からとてもおいしい黒豚の肉を買ってきてくれたことがありました。「なんで鹿児島行ったの?」と聞いたら、百貨店へ出張をしたと。それで京都展のことを知りました。当時は、全国各地の開催が多く、家に帰れないことが続き、祖母が京都駅の改札越しに着替えだけを交換して、また出張に飛び出していくこともあったそうです。私が入社して初めての催事は物産協会でした。会社の代表として物産協会の催事に行かせてもらえるのは花形の仕事でした。
- 鈴鹿:
- お土産の記憶は私もあります。父が京都展に行くと、出張先の地元のお土産も買ってくるのですが、京都展に参加のお店の物をたくさん持ち帰るのです。出張のたびに京都の物が増えるのが不思議でした。その後催事によく連れて行ってもらうようになり、大学生の時には香港の京都展に同行したのも覚えています。現場だからこそ感じる京都展独特の空気感というのがありますね。今では私も京都の品々を両手に帰宅しています。
- 伊藤:
- みなさん、子どもの頃から身近な存在だったのですね。私は恥ずかしながら、父から「物産協会の役をやらないか」と言われるまで知らなかったんです。
- 鈴鹿:
- 最初に京都展に来た時はどんな印象でしたか?
- 伊藤:
- 工芸と食品が一体の催事を見たのは初めてだったので、活気があるなと思いました。工芸はしっとりとした雰囲気ですが、そこに食品が入ることで活気がミックスされて、すごくいいなと肌で感じたことを覚えています。