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工芸×食品 座談会「物産協会と京都の未来」

次世代を担い、京都の産業と文化を支えていく若手理事・会員による座談会を開催。
コロナ禍で得たもの、京都の文化継承、これからの京都展。
未来に焦点を当てながら意見を交わしました。

工芸×食品 座談会

《出席者(左から)》

  • (株)松栄堂 専務取締役 畑元章氏
  • (株)聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿可奈子氏
  • (株)伊と忠 代表取締役社長  伊藤忠弘氏(進行役)
  • (株)本家尾張屋 代表取締役社長  稲岡亜里子氏
  • (株)かづら清 代表取締役社長 霜降太介氏

京都を知り、京都を届ける。ご縁が生まれるかけがえのない存在。

伊藤:
まずは、みなさんにとって物産協会とはどんな存在かお聞かせいただけますか。
稲岡:
子どもの頃から気づけばいつも横にあるような存在で、うちで作った蕎麦菓子を祖父と父が地方に持って行く姿を見ていました。その後、蕎麦に主軸を置くようになり、蕎麦は現場が命なので、出張には持っていけなくなりました。私が父から継いだ時には、再び蕎麦菓子を新しいお客様や世代に持って行きたい、京都の外に京都を届けたいという気持ちがありました。
霜降:
私も幼い頃から、従業員が催事に行くのを見ていました。昔は今以上に従業員も家族の一員みたいで「今度は九州へ行ってくるわ」「いってらっしゃい」というような会話をしていた記憶があります。私が三十二歳の時に代替わりしまして、物産協会のことを知れば知るほど、なくてはならない存在だと実感しています。京都有数の名店が集まり、その魅力を長年にわたり発信し続け、個々の店では出会えないようなお客様とのご縁を結んでいただき、本当に意義の高い団体です。
畑:
私も子どもの頃の思い出が印象に残っています。祖父が会長を務めさせていただいていて、鹿児島からとてもおいしい黒豚の肉を買ってきてくれたことがありました。「なんで鹿児島行ったの?」と聞いたら、百貨店へ出張をしたと。それで京都展のことを知りました。当時は、全国各地の開催が多く、家に帰れないことが続き、祖母が京都駅の改札越しに着替えだけを交換して、また出張に飛び出していくこともあったそうです。私が入社して初めての催事は物産協会でした。会社の代表として物産協会の催事に行かせてもらえるのは花形の仕事でした。
鈴鹿:
お土産の記憶は私もあります。父が京都展に行くと、出張先の地元のお土産も買ってくるのですが、京都展に参加のお店の物をたくさん持ち帰るのです。出張のたびに京都の物が増えるのが不思議でした。その後催事によく連れて行ってもらうようになり、大学生の時には香港の京都展に同行したのも覚えています。現場だからこそ感じる京都展独特の空気感というのがありますね。今では私も京都の品々を両手に帰宅しています。
伊藤:
みなさん、子どもの頃から身近な存在だったのですね。私は恥ずかしながら、父から「物産協会の役をやらないか」と言われるまで知らなかったんです。
鈴鹿:
最初に京都展に来た時はどんな印象でしたか?
伊藤:
工芸と食品が一体の催事を見たのは初めてだったので、活気があるなと思いました。工芸はしっとりとした雰囲気ですが、そこに食品が入ることで活気がミックスされて、すごくいいなと肌で感じたことを覚えています。
  • (株)伊と忠 伊藤忠弘氏
    (株)伊と忠 伊藤忠弘氏

コロナ禍で得たもの、気づいたことをこれからの成長・発展の糧に。

伊藤:
六十周年の節目でこの十年を振り返ると、やはりコロナ禍が大きな出来事でしたが、大変な状況の中で見い出だせたもの、次に繋がるものを得たことなどありましたか?
鈴鹿:
八ッ橋業界にとっては大きな打撃で、売り上げも激減しました。すべての店を閉めても、本店だけは一日も休まずに営業を続けていると「こんな時だから」と近所の方が来てくださったんです。地元の人が好んで食べ、使ってみて良いと思うから手土産にしたり、観光に訪れた方にお勧めしたりしたのがお土産物のルーツ。元々こういうものだったのだと改めて知らされました。観光の方はもちろん、日常的に食べてくださる地元の方も大切にしようと思いました。
伊藤:
鈴鹿さんのお父様も「地元の方を大事に、地元の方に愛されるものを」と常々おっしゃっていましたね。
畑:
うちは偶然にもラッキーなことが重なりました。一つは東京五輪の開催を視野に移動販売車を導入したこと。移動販売の模様がメディアに取り上げられ、それを見た人たちからご好評をいただきました。今は年間五十ヶ所に出店しています。買物を楽しみ、京都の観光へと繋げる、物産協会の京都展で続けてきたことと同じだと考えるいい機会になりました。各店の移動販売車やキッチンカーを集結して、新しい京都展の形も作れるんじゃないでしょうか。さらに、本店に隣接する薫習館という施設がSNSのインフルエンサーによって発信されたことで、従来の客層とは異なる若い世代の注目度が高まりました。
稲岡:
薫習館はデートスポット、SNS映えスポットとして若い方々がたくさんお越しですよね。うちでは、蕎麦料理はお持ち帰りができず、お客様に来ていただかないと何もできないことを痛感しました。そこで半年という短期間で、お取り寄せの鍋セット、長年お世話になっている食材仕入れ先の協力による商品を開発し、オンラインショップとウェブサイトをリニューアルしました。それらを通して、本家尾張屋を知ってくださる方など、新しいものも生まれました。また、時間ができたことで、家業の中にある当たり前や食材の繋がりに向き合ってみようと。私は写真家でもあるので、産地に赴き、撮影して、生産者の方に直接お聞きした話を記事にまとめウェブサイトにアップしました。いろんな判断をしていかなければいけない時代ですが、この三年間で向き合ってきたものをより大切に強くしていきたいなとも思いました。
  • (株)本家尾張屋 稲岡亜里子氏
    (株)本家尾張屋 稲岡亜里子氏
  • (株)聖護院八ッ橋総本店 鈴鹿可奈子氏
    (株)聖護院八ッ橋総本店 鈴鹿可奈子氏
鈴鹿:
当社もこの期間に、以前から考えていた商品を開発することが出来、ありがたいことに新商品コンクールで賞をいただきました。コロナ前はインバウンド需要が伸びたこともあり、何につけても「考える」時間が少なかったです。自社に改めて向き合い、じっくり付き合う機会となりました。
霜降:
たしかにそうですよね。うちは、コロナ禍で空いた時間と、会社のピンチをどう支えるか考え、つばき油配合の高濃度アルコールジェルを商品開発してオンラインショップで販売しました。本店の前半分は普通に営業し、奥半分のサロンは配送センターのようになっていました。医療機関だけでなく個人へもアルコールを提供してきましたので、北海道から沖縄まで、有難いことに全国からご注文を頂きました。振り返ってオンラインショップの顧客分析をしてみると、「京都展でかづら清を知った」というお客様も少なくなく、今まで長い時間をかけて各地方で出会ってきた方々と、コロナ渦で再び繋がったことに心から感謝しました。
伊藤:
みなさん、コロナ禍での空いた時間と必要性がマッチして生まれた商品や機会などのプラス面もあり、今後も継続・発展させていかれることと思います。京都展もやはり影響を受けました。中止も多かったですし、中止にするかどうかも百貨店に明確に基準がないので判断が難しい。初日にまん延防止等重点措置が出て、即撤収したこともありました。コロナ禍でお客さんの消費動向など変わったなと思われることはありますか?
霜降:
良質な体験価値にシフトしているような印象は受けています。たとえば人と会う機会が減り、お土産が渡しにくいため、その分、自分のためにちょっといいものを買うとか、自分あるいは家族やカップルとの食事をちょっといいものにグレードアップするとか、そういうお話をお客様から聞いています。
鈴鹿:
「ちょっといいもの」という意識は作り手として嬉しいですね。限られた時間の中で観光し、残り時間に慌ただしく手ごろなお土産をとにかく必要数購入する、ということが以前は多かったようです。自分のために本当に好きなものを一つでもいいから見つけようとしていただけるのは、大切に作っている側としてありがたいです。買い手の方のその意識が続き、作り手も忘れずにいるという関係が根付くことを願っています。

京都の伝統と文化を守りながら持続可能な未来を創る。

伊藤:
京都の文化の継承は、自分たちの使命でもあるけれど、商売ですから産業であり続けないといけない。守るべきもの、変えていくべきもの、それぞれの会社で差異はあると思いますが、どのように考えておられますか?
畑:
物産協会のある理事の方が「京都って、にしん蕎麦なんです」と話されたことがありました。京都でにしんは獲れない、蕎麦粉も京都産ではない、他の土地から集めてきた素材を一つの形にして、それが名物になるんだと。京都はそういう仕事の仕方をずっとしてきたのだと思います。うちの商品も世界各地からの原材料を使っています。京都は受け継がれてきたものを守りながら、新しいものを取り入れようという気持ちが強い土地だと感じています。例えば、尾張屋さんは近所なのでよく伺うのですが、お蕎麦の味も接客も変わらないけれど、蕎麦菓子の店を開き、再びお菓子に力を入れて、何かを変えようとしておられる。京都にはそういう事例がたくさんあって、他では得られない学びだと思います。
稲岡:
ありがとうございます。うちは菓子屋として創業し、菓子づくりの技術をもって蕎麦を始めたという歴史があります。商品の形や食べ方が変わっても蕎麦の成分は変わりません。蕎麦とか蕎麦菓子とかいうよりも、蕎麦が京都の禅寺で食されたという心身に良い食べ物であること、京都の清らかな水でおいしい蕎麦が作れることなどを軸に考えています。京都の老舗が何代も続いているのは、代々の先祖がその時代に必要な変化を決断してきたからだと思います。その根源は持続可能な未来。自分の時代の家業だけではなくて、次の時代のこと、従業員やその家族、取引先、環境のこと、自分たちの後に何を残すのかを考えてきたのでしょう。グローバル化、デジタル社会の普及、そしてコロナ禍と時代の変化のスピードが加速している中、何を大切にするか、何を変えていくかを考えることにすごくパワーを使いますね。
伊藤:
京都で商売をされている方に共通しているのは、自然な未来志向をもち、大切なものを繋いでいくというDNAを継承しておられること。鈴鹿さんのお父様も「この商品は百年続くか」を一つの指標として考えるとお話しされていました。
鈴鹿:
なんとなく流行にのって売ってみて、一年程で収益をあげ売れなくなればやめれば良い、という考え方はしませんね。仰ったように百年続くかをキーワードにはしていますが、時代の変化が激しい今の時代では正直五年後のこともわかりません。入り生八ッ橋もまだ七十年ですから。ただそれ程の自信を持って商品を作り、送りだす、その覚悟が父の言葉には込められているのだと思います。コロナ禍の間、娘と一緒に散歩をし、近くの観光地やお店を巡っていました。物産協会の加盟店さんのところにもふらりと寄せていただくと、馴染みのご店主が相手をしてくださり温かく子供も含め迎えてくださる。結果、子供たちにもお店や商品が馴染みとなり、使い手側も繋ぐ役目を担っていくのでしょう。改めて京都とは町全体のこういう優しさが継承の支えになっているのだな、と実感しました。
霜降:
私には起業家の仲間がいて「三年後にはこの会社を売って、売却益で新しい事業をする」というような未来予想も聞きます。「会社は父や祖父から受け継いだ大事なもの」という私の価値観と彼らの価値観はまったく違います。もちろん資本主義の時代ですからそういった考え方も正しいことだと思います。一方で、文化や知恵を継承しながら発展してきた京都の老舗の経営スタイルとは異なるものだとも感じています。
  • (株)かづら清 霜降太介氏
    (株)かづら清 霜降太介氏

六十年にわたり受け継がれてきた京都展の意義とは。

伊藤:
京都府物産協会は今年で六十周年を迎えますが、長きにわたり受け継がれてきた京都展の現場でどんなことを感じておられますか?
畑:
京都展でいつも思うのは、普段お店には来られないような方々に、商品を紹介する機会をいただけるいうのはすごくありがたいと。食品を買いに来られて、でもせっかくだから他も見ようということで「なんかいい香りがするけどここ?」の一言から、商品をおすすめするだけでなく、お客様の声が直接いただけるチャンスが生まれます。その声を社内で共有すると商品を改善する推進力になりますし、それは協会の意義というか、経験的に築いてきたもの、京都展ならではのことなんです。
  • (株)松栄堂 畑元章氏
    (株)松栄堂 畑元章氏
霜降:
本当にそうですよね。うちでは、催事に行くと、お客様からの声を必ず報告書に記録するようにしています。「こういうサイズがあったら買いやすい」とか、そこから生まれる商品もあり、テストマーケティングみたいなこともできるんです。
伊藤:
旅行先では非日常の感覚で買いますが、地元開催の京都展だと生活者視点でいられますからね。食品を買いに来たお客様が工芸にも興味を持ってくださり、そこでのお客様の声が役立っているんですね。
鈴鹿:
うちは食品ですが、京都展では、普段工場で働いている社員さんが普段はしない販売業務をするんです。接客をしながら「お客様はこれが好きなのか」という発見もあったり嬉しいお言葉を頂戴したりして、それが工場での経験に深みを増すようです。催事以外では無い機会ですね。
畑:
あとは、工芸と食品が約半々で出るっていうのは奇跡みたいなことだと思っています。出張などに行くと、いつも駅のお土産売り場を見ますが、工芸はあまり売っていない。他の地方の物産展でも工芸は少ないでしょう。工芸というジャンルは今後どうなっていくのか、もしかしたら食品しかない物産展になるんじゃないかと、特にコロナ禍では思うこともありました。でも物産協会は創設の時から「工芸と食品」という考え方が根付いていて、それを大事に受け継いできているんですね。一つひとつのお店の力、発想力が優れているからこそ、このバランスで京都展はできていると思います。
伊藤:
常日頃は全然違う分野ですし、そういう意味でも、会員企業のみなさんにとって物産協会はすごく意味のあるものなのでしょうね。我々工芸から見ると、食品は活気があって、現場で飛び交っている声が聞こえてきたりもして、それが現場の活気になっているのが羨ましいですね。
鈴鹿:
食品から見ると、まず、工芸は賞味期限が無いのが羨ましいです。あとはその分ご苦労もあるとは思いますが、一つのものに手間をかけ価値あるものを作り上げ、その出来上がった価値で売れることも羨ましいです。食品、というかお土産ジャンルの八ッ橋業界ではどうしても高すぎるものは敬遠されてしまいます。もっとこうすれば美味しい、麗、と思ってもコストや時間の点で限界があるので、工芸の極め方に目を奪われることが多いです。
稲岡:
食品は、その瞬間に一番いいものを出したいと考えてやっていますよね。そもそも工芸と食品では、時間軸が全く違うでしょう。私が海外にお土産として持って行くのは工芸の方が多いです。工芸は長い期間、お渡しした人たちの生活の中に入っていけるから、京都の伝統を長くシェアできるんです。賞味期限のある食品にはできないこと。でも、国内だと、日持ちとか気にしなくていいから、京都で今日できたてのものを持って行こうってなります。それぞれの良さがあるし、工芸は衣食住の「衣」「住」の時間軸に貢献できる、食品は「食」を楽しんでもらえる、両方ともすごく大切なものだと思います。

日本各地へ、世界へ、次世代へ。古今の京都を伝えるために。

伊藤:
これからの物産協会を私たちが担っていくわけですが、どんな展望をおもちですか?
霜降:
弊社にとっても、会員企業のみなさんにとっても欠かせない存在で、それぞれにいろんな価値を感じておられると思います。やはりお客様とのご縁を結んでいただけるのは大きな価値なので、今後も会員同士が努力して創出し続けられるといいですね。催事などリアルに対面で会うこと、ウェブやオンラインなどのテクノロジーを活用することも、変化の著しい時代には必要になってくるかもしれません。
稲岡:
催事の販売の仕方も、先ほど畑さんがおっしゃった移動販売車を使って、百貨店以外の場所に行くなど、新しいお客様に出会うためにはすごくいいと思います。例えば大学のキャンパスとか、京都展を知らない若い世代に向けて、面白いアプローチになるのではないでしょうか。環境が変われば、反応も変わるので、新しい発見もきっとあるはずです。
伊藤:
たしかに、中身を変えなくても、ターゲットや伝え方を変えるだけで、一気にいろいろ変わっていきそうですね。
鈴鹿:
国内外の多くの方が行き交う空港での開催も良いのではないでしょうか。催事というのは今の言葉で言えばポップアップストアですよね。京都のポップアップストアが今空港に来ているよ、と言えば、国内の方も海外の方も興味を持って足をとめてくださるかもしれません。
稲岡:
海外に行かなくても、空港なら世界中の人たちが集まっているし、すごくいいアイデアだと思います。
鈴鹿:
物産協会として守らなくてはならないのは、本物の京都を見てもらって、京都を好きになってもらうこと。大分トキハでの記念事業展でも、間近で舞妓さんの舞を見て、いっしょに写真を撮って、やっぱり京都はいいな、行ってみたいなと喜んでおられるのがすごく伝わってきました。京都の文化を会場に持って行って、京都の魅力を伝えることも大事だと感じました。
畑:
京都展で配布している広報物や今回のような記念冊子も京都の魅力や物産協会の活動など、その時代の世相やリアルな出来事が残されていると思うんですね。例えば、広報物の古いバックナンバーを読むと「懇意にしていた舞妓の中には商家へ入籍してから嫁入りをした人もあったそうだ」というコラムがあり、当時の社会背景を知ることができます。私の曾祖母もコラムを書かせていただいたそうです。自分の知らない世代の人たちの京都の暮らしや思想が綴られています。そういう貴重な情報をデジタル化したりアーカイブで残すのも私たちの仕事だと思います。今回の座談会でのメッセージも次世代、次の次の世代に届くことを期待しています。
稲岡:
英語など外国語に翻訳するのもいいですね。海外のお客様への情報提供になるし、海外から注目されることで、日本人も「やっぱり京都ってすごい」と気づくこともあります。自覚していないけれど、私たち京都人は宝物を持っているんです。
伊藤:
皆さま本日は素晴らしいご意見、お話をありがとうございました。これからも京都府物産協会の発展に尽力してまいりましょう。
工芸×食品 座談会